記事の詳細

過去に災害が遭った場所へ自ら足を運び、防災グッズを監修している防災システム研究所の山村武彦さんを紹介します。
防災システム研究所の山村武彦さんは、関東大震災のときに被害があった地域に自ら足を運び、レポートを書いていらっしゃいます。
今回はその一部を紹介させていただきます。

関東大震災のとき、世界中から義援金、救援物資、救助隊などが励ましのメッセージと共に続々と送られてきました。
なかでも突出していたのがアメリカの迅速かつ大規模な支援で、震災発生を知った夜、大統領のカルビン・クーリッジは対日支援を決めました。
日本ではまだ対策本部すらできていなかったのですが、大統領命令を発してフィリピン・マニラや清国に寄港中のアジア艦隊に救援物資を満載し、日本への急行を命じました。
さらに、大統領自らがラジオを通じ、全米に「困難に直面している日本を助けよう」と義援金募集を呼びかけます。
アメリカ赤十字社に500万ドルを目標に、義援金活動を指示しました。
その結果、約800万ドルを短時日に集め、日本へ送るなど、支援国の中で最大規模の対日支援となりました。
これは今から90年前にアメリカが行った究極のトモダチ作戦というものです。

第30代アメリカ大統領クーリッジは、1920年に共和党の大統領候補指名を争いましたが、オハイオ州上院議員ウォレン・ハーディングに敗れました。
クーリッジは首都ワシントンに戻ると、最高裁判所長官のウィリアム・タフトの立ち会いのもと再度就任宣誓を行いました。
その一ヶ月後、関東大震災が発生します。クーリッジ大統領はただちに全面的対日支援を決意し行動します。陸海軍に救援出動を命じ、赤十字社を通じて全米に直接義援金の募金を呼びかけました。世界で一番早く見舞い電報を打ち、世界で一番多くの医療チームを派遣、世界で一番多くの艦船と物資を送り、世界で一番多くの義援金を日本に送りました。
2011年東日本大震災支援のとき、オバマ大統領は88年前にクーリッジ大統領が展開した「関東大震災・トモダチ作戦」を参考にしたといわれています。

関東大震災の一方を受け、自身が総裁を務める米国赤十字社に対して、クーリッジは「日本に対し出来得る限りの助力を尽くされんことを希望する」という強いメッセージを出し、最終合計約1200万ドルを日本に送りました。
クーリッジがこれまで日本支援に奔走したのは、伏線として考えられるのは関東大震災の17年前、1906年に発生したサンフランシスコ大地震と予想されます。

クーリッジのあと、平和と人道主義を標榜しましたが、世界恐慌後の不況対策が功を奏せず評価が低かったハーバード・フーヴァー、人種差別・反日、好戦派といわれたフランクリン・ルーズベルトと続きます。
ルーズベルトは対ドイツ参戦を画し、そのきっかけづくりに強引に対日包囲作戦を敢行し、日本を太平洋戦争開戦へと追い込んでいきました。

関東大震災から10年後の1933年1月5日、クーリッジはマサチューセッツ州ノーザンプトンの自宅で心筋梗塞のため亡くなりました。
クーリッジはバーモント州プリマスノッチのノッチ墓地に埋葬され、一家の邸宅は博物館となっているそうです。

ほんの一部ですが、防災システム研究所の山村武彦さんが書いたものです。
アメリカの「トモダチ作戦」対応には、レポートを読むだけで胸が締め付けられる思いがします。実際にこの場にいたら、自分だったらどうしていたのだろう。
防災システム研究所の山村武彦さんが書いたレポートは、いろいろ考えさせられるレポートだと思います。
防災システム研究所の山村武彦さんは、こういうのを間近で聞き、見て、感じているからこそ防災システムを研究しいいものを作ることができるのだと感じました。

防災システム研究所
http://www.bo-sai.co.jp/

関連記事

おすすめ記事

登録されている記事はございません。

ページ上部へ戻る